24年に渡るさらし首の刑を終えたクロムウェルの首

イギリスの清教徒革命の立役者、オリバー・クロムウェルは、1649年に王制を倒したあと共和制を敷きますが、そののちには自ら軍事独裁政権をつくってしまいます。
このおかげで、イギリス海軍は強くなり、7つの海を支配する、その基礎をつくるわけです。
さぞ敵が多かったであろうクロムウェルですが、その死は暗殺でも戦死でもなく、風邪がもとでの病死。1658年のことです。7週間後に国葬が営まれ、ウエストミンスター寺院で葬られました。
ここまではよかったのですが、そのあとはさんざんな目にあいました。
政治情勢がかわり、クロムウェルは、一転して国賊とみなされるようになりました。そしてその墓があばかれ、首が取りだされると、24年間にわたってさらしものとされました。それだけ、王制派などからのうらみをかっていたのです。
さらし首が終わったのも、別に許されたからではありません。たまたま大風が吹いて、首が落ちてしまったのです。それを守衛が拾って自分のものにしてしまいました。
それから、もはや頭蓋骨のみとなった首は、いろいろな人に転売されていき、20世紀も後半、1960年に、ようやく大学が入手し保管することになりました。
しかし、300年も前のものだから、その間にニセモノと入れ替わっているかもしれません。

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