かるたの百人一首の中で、小野小町の顔だけは、まったく描かれていません。後ろ向きで顔がみえないのです。
絶世の美女の顔をわざわざ隠したのは、江戸中期以降のことです。
小倉百人一首が、現在のように歌かるたとして遊びに使われるようになったのは、江戸中期のこと。ところが、当時の江戸の女性たちは、美人への反感が強く、それを察知した版元が小野小町の顔だけは見えなくしたといわれます。
また、日本一の美女の顔は、想像してもらうほうが楽しいですよね。
そういう版元のアイデアで、後ろ向きにしたという説もあるそうです。
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