幕末維新の英雄西郷隆盛は、井伊直弼が幕府の大老になったときから追われる身になりました。
しかも薩摩藩主の島津斉彬が急死して、ますます頼るところがなくなった彼が、鹿児島の錦江湾で投身自殺をはかったことは有名な話です。
もちろんそこでは死にきれなかったのですが、藩の家老だった新納駿河の機転で、幕府の目をごまかすために、表向きは自殺したことにしました。
西郷は菊池源吾と改名。幕府の目を逃れて、奄美大島で暮らすことになるのです。
幕府の者が疑いをもったときのために、刑死した罪人の死体を見せることにしたり、西郷家で新しい墓標を用意したりして、苦心惨惜、てんやわんや。
ところが、西郷どん、鹿児島での苦労をよそに、隠遁先の奄美大島でなに不自由ない生活を送っていたそうです。食糧は定期的に鹿児島から送られてきましたし、愛加那という島の娘との結婚で、二人の子供もできました。
西郷にしてみれば、「死んだふり」も楽しいものだったといえるでしょう。
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