西郷隆盛の子孫たちの意外な生涯

西郷隆盛が西南戦争に敗れ、自刃したのは明治10年、1877年のことです。50歳でした。
当時の英雄たちは、あちこちにお妾さんがいたりして、子供はたくさんいたものですが、西郷の場合は、その生涯に3度結婚し、5人の子供がいました。
最初の夫人とのあいだには子はなく、離婚。ふたり目は、西郷が奄美大島で謹慎生活を送っていたときに知りあった女性で、男女ひとりずつの子が生まれました。ところが、謹慎がとけて本土に戻るとき、現地の妻は連れてきてはならないという決まりがあり、しかたなく離縁。
その後、薩摩藩の家老の娘、イトと結婚、三人の男の子が生まれました。イトは、西郷の死後、先妻とのあいだのふたりの子を引き取り、立派に育てました。
西郷は、政府からみれば反乱軍の首謀者であり、国家反逆の罪で死刑になってもおかしくない存在ではありましたが、なんといっても、死んでもなお人気がありました。それに、明治維新の立役者としての業續は疑いようもありません。遺族も、そうひどい目にはあわなかったようです。
さて、その息子たちですが、世間一般からみれば出世したとはいえますが、あの西郷の名声を考えると、地味な生涯を送ったようです。
イトとのあいだにできた3人の息子のうち、3男は肺結核で若くして亡くなり、長男の寅太郎は陸軍に進み少佐にまでなり、侯爵となりました。第一次世界大戦のときには、習志野のドイツ人捕虜収容所の所長をつとめていました。次男は、日本郵船に入社しました。
2番目の妻とのあいだに生まれた菊次郎が、いちばんの出世頭といえます。京都市長となり、発電、水道、電気、鉄道など大規模な公共事業を推進し、今日の京都市の基礎を築きました。
西郷の孫で有名なのは、寅太郎の3男にあたる、吉之助。祖父と同じ名ですが、銀行マンから政界にでて、佐藤内閣の法務大臣までつとめましたが、その後、自民党を離れ引退しました。
その子供たち、つまり西郷隆盛のひ孫たちは、みなごくふつうのサラリーマンになりました。

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