ヤクザや町人のあいだで刺青がはやりだしたのは、江戸時代のこと。
それまでは、刺青といえば武士が中心。ヤクザや町人が刺青を彫り始めたのは、威張る武士への反発からだったといいます。
自分は刺青に耐えられるのだと示すことが、武士への対抗心を表す方法だったのです。言葉をかえれば、それほど刺青は痛いものだといいます。
刺青は、彫る絵柄を決めたら、まず最初に、筋彫りといって肌に傷をつけていきます。この筋彫りの痛さは、熱いカミソリで切り裂かれるようだとか。ここで病院へいけば、診断は全治3週間。即入院させられるといいます。
さらに、筋彫りでつけた傷へ、ぼかしといって、色を流しこんでいきます。このときの痛みはもっと激しく、40度の熱をだす人がいるほど。完成しても、しばらくは、服が着られない状態がつづくといいます。
ヤクザならずとも、倶梨伽羅紋々(くりからもんもん)に、興味をいだく人が多いのは、その芸術的な美しさと、彫るときの痛さに耐えた根性に、畏敬の念をいだくからでしょう。
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