江戸時代には北町と南町のふたつの奉行所がありました。奉行所は、いまでいうなら、警察と裁判所と税務署と都庁を兼ねた役所のようなものです。つまり、奉行所に勤めることは、それだけでも超エリートだったのです。
しかも、大岡、金四郎とも奉行所のトップであるお奉行様でした。庶民にしてみれば、このふたりはまさに仰ぎみるような存在だったのです。
ただ、ふたつの奉行所にも格のちがいはありました。当時の官僚の最高位は、北町奉行だといわれていました。
歴史をひもといてみると、この北町奉行に長く勤めたのが金四郎。役人になったのは32歳と遅かったのですが、わずか12年後には北町奉行についています。
一方、大岡は39歳にして南町奉行につきました。そして、30年の長きにわたって大岡裁きをつづけます。しかし、こと役職にかけては北町奉行の金四郎よりも若干、格下だったといわざるをえません。
もっともふたりの生きた時代はちがいます。時代時代の状況が異なるので、単純な比較はできないのですが。
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