公暁に持ち去られた源実朝の首はみつかったのか

日本史において、幕府は3つあります。鎌倉幕府、足利幕府、徳川幕府です。このうち、鎌倉だけが地名で、源氏幕府とか源幕府とよばれないのは、源頼朝が開いたものの、源氏政権は3代で終わってしまい、後は北条氏による執権政治がつづいたからです。
その3代将軍にして最後の源氏将軍となったのは、源実朝。頼朝の次男で、兄の頼家の後に将軍となりました。しかし、武士としてよりも、歌人としての才能のほうがあったようで、多くの和歌を残しています。
この実朝は、頼家の子、つまり甥にあたる公暁(くぎょう)によって暗殺されてしまいます。何者かが公暁に「本当はおまえが将軍になれるはずなのに、それを実朝が横取りした。実朝さえ死ねば、つぎの将軍はおまえだ」とそそのかしたためといわれています。
結果的には、公暁はつぎの将軍になるどころか、捕らえられて殺されてしまいます。こうして、源氏の直系は絶えてしまうのです。
さて、その暗殺のとき、公暁は、当時の習慣にそって、首をはねました。首をとる、というのが殺した証拠となるわけです。公暁が首をもったまま逃走したため、実朝は、葬儀のときには首のないまま埋葬されました。
その後、公暁は捕らえられましたが、そのときに実朝の首がどうなっていたかについては、幕府の公式記録にはなにも書かれていません。
首はどこかに埋葬されたにちがいなく、伝承によると、主だったところで3か所が、実朝の首が埋葬されている場所として伝えられています。
高野山の金鋼三昧院、紀伊の国の海部郡にある西方寺、そして、相模の国の大住郡の大聖山金剛寺です。
いまさら掘り返してみたところで、実朝のものと断定できるわけもなく、永遠の謎となっています。

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