妻の機転が、窮地に立たされた夫を救ったという話は『日本書紀』にも記されています。 舒明(じょめい)天皇のときの上毛野形名(かみつけののかたな)の妻の武勇伝がそれです。 蝦夷が反乱を起こした際、上野の豪族・上毛野形名が、そ […]
日本史の雑学
ピンチをチャンスに! 伊達軍の起死回生の作戦とは
戦国時代は、毎日が合戦のくり返し。武士にとっては、生死をかけた修羅場の連続ですが、農民や町人にとっては、迫力のある戦いが間近に見物できる絶好のチャンスだったようです。 そんな見物人を、合戦に上手に利用して勝ちをおさめた武 […]
太平洋戦争最大の奇跡、キスカ撤退作戦とは
ミッドウェー海戦で大敗したあと、日本軍は太平洋の制海権と制空権を失い、太平洋とベーリング海をへだてるアリューシャン列島とアッツ島も米軍に奪回されてしまいました。 そこで、日本軍は、昭和18年7月、キスカ島に駐留させていた […]
師匠にケンカ売った和算家の成り上がりパワー
会田安明(あいだやすあき)という江戸後期に活躍した和算家がいました。彼は延享四年(1747年)、山形県で生まれ旧式の数学を学んだ後、江戸で「最上流」とよばれる流儀の学問を開いた人物です。数学の世界で彼が出世した裏には、意 […]
戦争には文字通り落とし穴がつきもの
越後の長尾景虎、のちの上杉謙信の父・長尾為景は、その父能景を神保慶宗に殺された恨みを抱いていました。 一方越中国(現・富山県)の守護代をつとめていた神保氏は、越中の一向一摸勢力と結び、しだいに勢力を伸ばしてきていました。 […]
敗色濃厚の長久手の戦、秀吉の恩情はどう転んだか
徳川家康が、反秀吉勢力の大結集をはかり、秀吉を打倒すべく引き起こした小牧の戦い。 このとき、四国の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)、紀州の根来(ねごろ)・雑賀(さいが)の僧兵らが、秀吉に反抗する動きをみせ、家康に荷担 […]
戦に情は禁物、明軍が敗れたこんな理由
文禄2年(1593)正月5日、明・朝連合軍は、小西行長らが守る平壌を包囲しました。7日にはついに総攻睾に移ります。世にいう文禄(ぶんろく)の役の開戦です。 多勢に無勢の日本軍は、たちまち京城をめざして敗走します。京城に着 […]
もはやこれまで!の料理方が命拾いしたいきさつ
江戸時代、将軍の食事は、あらかじめお毒味したのちに将軍のまえにさしだされました。それほど将軍の食事には気をつかっていたわけで、その分料理方の責任も重かったのです。 徳川家8代将軍吉宗が、あるとき、食事をしようとすると、料 […]
官軍側が彰義隊に放った最後の切り札の威力は
幕末の動乱のなか、上野の山を舞台にくり広げられた彰義(しょうぎ)隊と官軍の戦いは、みごとな逆転劇として後世まで語りつがれています。 当時、江戸では彰義隊士がひんぱんに官軍の兵士を殺傷していました。業を煮やした官軍は、彰義 […]
新政府軍に総攻撃で善戦、苦戦をくり返した長岡藩
旧幕府軍と政府軍とのあいだでくり広げられた戊辰(ぼしん)の役。そのなかでも、北越戦争は河井継之助(かわいつぐのすけ)の名とともに名高いものです。 越後の長岡藩を中心に、会津・桑名・米沢などの小藩がくわわった旧幕府軍と、薩 […]