江戸時代、将軍の食事は、あらかじめお毒味したのちに将軍のまえにさしだされました。それほど将軍の食事には気をつかっていたわけで、その分料理方の責任も重かったのです。 徳川家8代将軍吉宗が、あるとき、食事をしようとすると、料 […]
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将棋史に残る決死の戦いで起こった大番狂わせとは
将棋というのは、みた目が静かなわりに、ひじょうに熾烈な戦いが展開される勝負ごとであります。いったん勝負が開始されれば、想像を絶するほどの集中力が要求され、ちょっとでも油断したりミスを犯したりすると、即、それが負けにつなが […]
大岡越前と遠山金四郎では、どちらがエラかったか?
江戸時代には北町と南町のふたつの奉行所がありました。奉行所は、いまでいうなら、警察と裁判所と税務署と都庁を兼ねた役所のようなものです。つまり、奉行所に勤めることは、それだけでも超エリートだったのです。 しかも、大岡、金四 […]
金太郎飴は、なぜ金太郎の顔になったのか?
どこをポキッと折っても、金太郎の顔が出てくる金太郎飴。この飴が作られるようになったのは、江戸時代中期のこと。桃太郎や浦島太郎ではなく、金太郎の顔が選ばれたのは当時の江戸では、金太郎が子供から大人までに愛される人気キャラク […]
なぜ、日本酒は真冬につくるのか?
日本酒は、「寒仕込み」といって、11月から3月の厳寒期に仕込まれます。 こうなったのは、江戸時代からです。徳川幕府が、米価を安定させるため、寒造りを推奨したのです。 秋の収穫の後なら、豊作か凶作かに対応して、酒造りにまわ […]
なぜ、官庁は霞が関にあるのか?
国の中央官庁は、東京都千代田区の霞が関一帯に集中しています。千代田区は他の22区にぐるりと囲まれており、東京のちょうど真ん中にあります。 皇居に近い桜田門から、港区の虎ノ門にかけて走る桜田通りには、総務省、国土交通省、外 […]
東海道の旅を終えたあと、弥次さん喜多さんは、どうした?
江戸時代に十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が書いた滑稽本『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』の主人公は、ご存じ弥次さん、喜多さん。 弥次さん喜多さんは、江戸の神田を出発し、箱根の山を越えて、京都の三条大橋に至る東海道五十三次 […]
代官には本当に悪代官が多かったのか?
時代劇に出てくる江戸時代の代官といえば、かならず賄賂はとる、庶民は泣かせる悪代官です。本当のところは、どうだったのでしょうか? 代官は、幕府の直轄領(天領)を治めていた行政官。その仕事は、年貢の取り立て、治安維持、治水工 […]
なぜ昔の人の旅荷物はあんなに少なかったのか?
時代劇に登場する旅人の荷物は、じつに少ないですね。あれは真実の姿で、江戸時代の庶民の旅では、荷物はずいぶん少ないものだったのです。 持ち物といえば、お金をいれた道中差(どうちゅうざし)、携帯用燭台、印籠、算盤や手燭(てし […]