コジンスキーはなぜ殺されずにすんだか!?

1969年8月8日にロサンゼルスのハリウッドで起きた、女優シャロン・テー卜邸の殺人事件はあまりにも凄惨なものでした。
彼女の家で開かれていたパーティーの出席者たちが次々と殺害されたのですが、犯人グループはチャールズ・マンソンを中心とした4人組。これさえやれば自分たちを中心とした世界ができると思いこんだ未の、常軌を逸した犯行でした。
彼らは妊娠していたテートのお腹を割き、ほかの出席者もメッタ切りにするなどの残酷なやり方で5人を殺害しました。
ところがそのパーティーの出席予定メンバーのうち、遅刻したために助かった人物がたった1人だけいました。幸運なその人物は、ユダヤ系小説家のイエルジー・コジンスキーです。彼は、このパーティーで友人のヴォイテク・フリコフスキーに会うことになっていたのです。
では、なぜ彼はパーティーに遅れてしまったのでしょうか。
じつは、飛行機でロサンゼルスまでやって来た彼の荷物が、係員の手ちがいでニューヨークに送られてしまったからでした。
空港で足止めをくらったコジンスキーがテートの家に到着したときには、地獄絵のような事件は終わっていました。
ちなみに、彼の小説「ブラインド・デイト』は、この事件をもとに書かれたものです。

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