校庭に桜が植えられるようになったのは明治時代になってからのこと。明治政府は教育政策の基礎を国学に求めました。そのために、江戸時代の国学者・本居宣長が詠んだ「敷島の大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花」という歌が広く親しまれるようになりました。そして、いつしか桜は日本精神をあらわす花になっていきました。
そこに目をつけたのが軍部でした。パッと咲いてパッと散る桜は、いさぎよく散る軍人のイメージと重ねあわされて、日本帝国軍人の象徴とされました。こうして各地の陸軍兵舎に桜が植えられていきました。
さらに、日清・日露戦争の勝利によって軍部が力を持つようになると、子供たちにも、桜を通して軍人精神が教え込まれるようになりました。かくして桜は、学校の校庭にも植えられるようになったのです。
入学式で門出を祝うかのように咲き乱れる校庭の桜。しかしそこには、軍国主義というキナ臭い過去が秘められているのです。
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