海王星発見に隠されたこの番狂わせ

太陽系で、いちばん外側の軌道をまわっている惑星といえば海王星。この星の発見をめぐっては、ふたりの科学者のドラマがかくされていました。
イギリスのアダムスが、天王星の外の軌道をまわる未知の惑星にかんする計算結果を得たのは、1845年10月でした。
彼は、この結果をグリニッジ天文台長エアリーのもとに送りました。ところが、エアリーはこれをなぜか黙殺してしまったのです。これが、第1番目の不運。
1846年の夏になると、アダムスは、フランスのルヴェリエがやはり未知の惑星の軌道にかんする論文を発表したことを知りました。アダムスにせっつかれてようやく重い腰をあげたエアリーが、ケンブリッジ天文台に新しい惑星の探査を依頼しました。しかし、ここで第2番目の不運がアダムスを見舞ったのです。
ケンブリッジ天文台には探査する天空部分の星図がなかったので、観測がはかどりませんでした。
一方、ルヴェリエが依頼したベルリンの天文台には星図も整っており、ルヴェリエが連絡してきた位置にさっそく望遠鏡をむけました。その結果、海王星を発見!その栄誉はあとから調査を開始したルヴェリエのものとなったわけです。
それにしても、海王星発見の栄誉をまさかの不運が重なってとりのがしたアダムスは、さぞくやしかったことでしょう。

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