近藤勇が死んで、一族は途絶えてしまったのか

新撰組の組長は近藤勇ですが、時代劇では、副長の土方歳三や、美男子ということになっている沖田総司のほうが、人気があるようです。近藤の役まわりといえば、鞍馬天狗の敵役といったところ。
武士の時代の終焉を飾り、最後まで武士道に生きた新撰組の侍たちですが、皮肉なことにほとんどは下級武士の出で、近藤にいたっては農家の3男でした。武士道とは縁のない男たちが、最後の侍となったのです。
徳川の時代が終わり、薩摩・長州連合が政権を握ると、京都で、この2藩の武士たちを取り締まり、弾圧して殺しまくった新撰組の責任者は、当然ながら生かしてはおけません。明治元年4月に、近藤勇は処刑されました。
近藤には、娘がひとりいて、この娘と兄の息子とを結婚させ、養子としていました。この養子の勇五郎は勇を尊敬しており、処刑された近藤の遺体をもらいうけると、ていねいに埋葬しました。
その後も、勇五郎は新撰組の関係者の業績を広く知らせることに一生をささげました。
この勇五郎の子、つまり勇の孫は、残念ながら日露戦争で戦死してしまい、近藤勇の直系の血統は絶えてしまいました。

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