大隈重信の爆弾テロで失った右足はどうなった?

権力を握っている者が、その権力を失うことを「失脚」といいます。ちょっとしたミスや、政敵の攻撃によるものなど、その理由はさまざまですが、大隈重信の場合は、本当に足を切断してしまったのです。
早稲田大学の創立者として、いまもキャンパスにその銅像が立っている大隈重信については、いまさら説明もいらないでしょう。
教育者でもありましたが、なによりも政治家でありました。明治13年には黒田内閣の外務大臣をつとめていたのですが、当時の政治課題は、幕末に各国と結んだ条約の改正問題。これは日本にとってかなり不利で不平等な内容だったので、対等の立場のものにしたかったのです。
しかし、大隈の主張する改正案には、それでもまだ国辱的であると不満をもつ、国粋主義者が多かったようです。
そのひとりが、大隈に向かって爆弾を投げ、自らはその場で短刀で自殺。大隈は右膝の下に負傷。これが重傷で、切断するしかありませんでした。これがきっかけで、大隈はいったんは失脚、黒田内閣は崩壊しました。
こうして切断された右足は、早稲田にある大隈の家に運ばれ、アルコール漬けにして保存されることになりました。
しかしその後、アルコール代がかさむので、赤十字病院に移されることになったようです。

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