隆盛を極めた平氏が、木曽(源)義仲によって都を追われたあとの話です。 戦いなどにはなんの意欲もなく、ただ豪華で贅沢な生活をおくっていた平氏は、すでに源氏の敵ではありませんでした。 しかし、こんな平氏も、水島の戦いでは源氏 […]
日本国内の雑学
災い転じて、ラッキーにも失踪中の夫を発見!
天災は時として、こんなドラマのシナリオをつくったりするようです。 昭和39年、栃木県の宇都宮市で火事が発生。アパートが焼けてしまい、被災者の名前が新聞で公表されました。 一夜明けて、A子と名のる女性(32歳)が火災現場近 […]
「負けるが勝ち」これぞ信長のピンチ脱出法
名将というのは強運の持ち主であるもの。織田信長もそのひとりです。 織田の命運をかけた「姉川の戦い」はまさに信長の強運そのもので手に入れた勝利だったといえます。 当時、信長の傀儡(かいらい)という立場を嫌った室町末期の将軍 […]
敵の意表をついて危機挽回した知恵者って?
信長の死後、後継擁立問題で、豊臣秀吉と柴田勝家は対立していました。 1583年3月、勝家は佐久間盛政を先鋒として近江(現・滋賀県)の柳ヶ瀬に陣を張り、一方秀吉も伊勢から近江へはいり、木之本に布陣、にらみあいの態勢となりま […]
いつの世でも最後に物言うのはコレの力
徳川家康が、本能寺での信長の横死(おうし)を知ったのは堺の宿に宿泊しているときでした。事件の実否を確認するのが先決と思った彼は、まず、京都を目ざしました。 途中、河内の飯盛で家康が懇意にしている京都の商人・茶屋四郎次郎に […]
夫のピンチを救った妻の逆転発想とは
京都最古の建造物として国宝に指定されている七本松の大報恩寺の本堂。千本釈迦堂の名でしられるこの寺は、安貞(あんてい)元年(1227)に義空上人によって開かれました。 この本堂を建てるときに、大工の棟梁として活躍したのが長 […]
ラストチャンスで合格した2流大学生のウィット
就職活動といえば、みんなきまったようなリクルートファッション。誰もが、それまで自由にしていたヘアスタイルをきっちりまとめ、さっぱりした面持ちで就職試験に臨むものです。 ところが、昭和56年の秋、当時某私立二流大学4年生だ […]
前代未聞、主君の恩を仇で返した家臣の延命術とは
「命を捨ててでも主君に忠義を尽くすことが武士道」、家臣がつねにそう心していたかというと、そんなことはなかったようです。 天正7年(1579)、それまで織田信長に帰属していた波多野秀治・秀尚兄弟が反旗をひるがえしたことで、 […]
保釈金が返還されるまでのあいだ、いったい何に使われているのか
数百万円、数千万円、ときには数億円の保釈金を支払って、拘置所から自宅へ帰る政治家や実業家。毎度のことながら、万が一のとき、保釈が認められそうもない身にとって、納得のいかない光景です。 保釈金は、被告人の財産などを考えて、 […]
ワインテストで、もしも「ノー」といったら、取り替えて貰える?
フランス料理店でワインを飲むには、ワインテストの儀式をクリアしなければなりません。 それが初めてなら、ソムリエがグラスにワインをついでくれるときから、超緊張。一口飲み終わるや、すぐに「結構です」と答えるのがふつうです。 […]