天文14年(1545)から15年にかけて北条氏と上杉氏は敵対関係にありました。 そしてついに、扇谷朝定(おうぎがやつともさだ)と山内憲政の両上杉連合軍が、北条氏康の将・北条綱成(つなしげ)の守る武蔵河越城を攻めました。 […]
日本史の雑学
道兼が手にした悲願の「関白」は人生最大の過ちだった
平安時代中期の公卿藤原道兼は父兼家の命を受け、言葉たくみに天皇に退位を持ちかけ、もくろみどおり花山天皇を退位、出家させることに成功し、後釜に外戚の一条天皇を即位させました。 この功績があるため、父兼家の死後、摂政の地位は […]
異例の出世が道真にもたらした転落の人生とは
学問の神様として崇められている菅原道真。彼の一生は「異例の昇進」ののち「突然の左遷」と波乱に満ちたものでした。 道真は、祖父、父など代々学者の家のうまれで、朝廷政治の中枢人物となるべき身分ではありませんでした。ところが、 […]
将軍家光誕生にかけた春日局の一念
春日局が将軍の跡継ぎ問題で、徳川二代将軍の御台所(夫人)と対立したのは有名な話です。 長男竹千代の乳母(めのと)である春日局と、利発な次男の国松を籠愛する御台所。二代将軍秀忠までが肩入れしていたため、大奥の人気も国松に集 […]
なんと、平安時代に逆転無罪を勝ち取った主婦がいた!
法廷で逆転無罪を勝ちとるのはたいへんむずかしいものです。 ところが、平安時代、すでに、それをやってのけた女性がいました。裁判で国司らの誤判を認めさせたのです。 讃岐の国の秦浄子なる女性がその人です。彼女は飲酒仲間の浪人に […]
斬殺覚悟で志士をやり込めた女郎の一言とは
伊藤博文らと尊王撰夷運動に参加し、維新後、新政府参与となり外交、財政通として活躍した井上聞多(井上馨)。 彼には若かりしころ、なじみの女郎でお里という女性がいました。若い彼は、御殿山に建設中だった諸外国の合同公使館を焼き […]
50年の時を越えて見事生還した男
第二次世界大戦中、日本から多くの開拓団が満州(現中国・東北地方)に渡りました。山梨県に住む飯島俊太郎さんもそうしたうちのひとり。 終戦を迎え、飯島さんの消息は途絶えました。多くの満蒙(まんもう)開拓団がたどった悲劇が彼を […]
歴史の学説をひっくり返したひょんなきっかけとは
日本に旧石器時代から人間が住んでいたことは、現代では広く知られていますが、昭和22年ごろまでは、縄文文化が日本でいちばん古い文化だと信じられていました。 じつは、昭和6年、早稲田大学の直良信夫という先生が、縄文より古い文 […]
関ヶ原の戦いの後、石田三成の息子たちはどうなったのか
日本史の年号のなかで、いちばんおぼえやすいのは、関ヶ原の戦いです。西暦1600年。語呂合わせの必要もないくらい、簡単におぼえられます。 東西20万人の兵力が激突しました、この天下分け目の戦いで敗れたのは豊臣方。とはいうも […]
豊臣家の子孫は?完全に滅んでしまったのか
大坂夏の陣によって、豊臣家は滅亡しました。すでに関ヶ原で勝利し、征夷大将軍にまでなり、実質的に天下を握っていながらも、徳川家康は完膚なきまでに、敵対勢力をつぶしたのです。 この豊臣家滅亡作戦の必要性を家康が感じたのは、豊 […]