キリスト教の宣教師がはじめて日本に来たのは、天文18(1549)年のことでした。イエズス会のフランシスコ・ザビエルが2名の同僚とともに来日したのです。 以来、ほぼ毎年のように宣教師は来日しています。たとえば、天正11(1 […]
日本史の雑学
最初の遣隋使のとき誰が通訳したのか?
奈良時代の遣隋使は、いわば中国に向けた外交使節団。日中間で対等の外交関係を樹立することが派遣の目的でした。では、はじめて異国を訪問したとき、言葉の問題はどうクリアしたのでしょうか? それは、遣隋使船の乗船リストをみると、 […]
縄文人は釣り糸をどうやってつくった?
縄文遺跡からは、動物の骨を削ってつくった釣り針が、よく出土します。 しかし、今まで、釣り糸がついた状態で発見された釣り針はひとつもありません。ということは、釣り糸は何か朽ち果てるモノでできていたようですが、それは何だった […]
「踏み絵」を考えだした人は?
最初に踏み絵を実施したのは、長崎奉行・水野河内守(かわちのかみ)のようです。寛永5(1628)年のことで、このときの踏み絵は、紙製の聖画類でした。 つづいて、翌寛永6年には、同じく長崎奉行・竹中采女正(うねめのかみ)が木 […]
代官には本当に悪代官が多かったのか?
時代劇に出てくる江戸時代の代官といえば、かならず賄賂はとる、庶民は泣かせる悪代官です。本当のところは、どうだったのでしょうか? 代官は、幕府の直轄領(天領)を治めていた行政官。その仕事は、年貢の取り立て、治安維持、治水工 […]
なぜ昔の大家は店子(たなこ)にうるさくいった?
落語の世界では、大家が店子に向かって口うるさくいっていますね。事実、江戸時代は、大家と長屋に住む店子の関係は、きわめて密接だったのです。 なにしろ、店子は大家を通さないと何もできませんでした。 嫁をもらうにも大家の許諾が […]
忍者は本当に竹筒だけで水にもぐれたのか?
ドラマに出てくる忍者は、竹筒を口にくわえて水中に沈み、水面に竹筒の先だけ出して空気を吸い込んで呼吸しながら、水中にひそんでいました。おなじみのシーンですが、これは現実には不可能な技のようです。 第一に、人間の体は水に浮い […]
戦国時代の武士はケガをどう応急処置したのか?
戦国時代の戦いでは、もちろん多くのケガ人が出ました。当時の戦場に、医者、今でいう軍医は同行していません。ケガをした侍は、薬草を使って自分で応急処置するのが普通でした。 よく使われたのは「紫根草(しこんそう)」という植物の […]
侍の財布の中にはどれくらい入っていたか?
侍、侍といばっていても、経済的にはなかなか大変だったようです。下級武士、浪人、足軽、中間らはいうにおよばず、上級武士の生活もけっして楽なものではありませんでした。たとえば、200石取りの侍を例にとってみましょう。これを貨 […]
大名は国替えのとき、どうやって引っ越した?
江戸時代の大名の国替えというと、何百人何千人もの社員とその家族全員が、同時に転勤し、引っ越すようなものです。手続きや手順がうまくいかず、大騒ぎになる大名家も少なくありませんでした。 国替えになると、まず城内の諸道具や帳簿 […]