最初に踏み絵を実施したのは、長崎奉行・水野河内守(かわちのかみ)のようです。寛永5(1628)年のことで、このときの踏み絵は、紙製の聖画類でした。
つづいて、翌寛永6年には、同じく長崎奉行・竹中采女正(うねめのかみ)が木製の板踏み絵をつくり、庶民に次々と踏ませていました。
後に、キリシタン探しが激化すると、紙や板の踏み絵ではもたなくなり、真ちゅうの踏み絵が開発されました。
ただし、寛永5年以前の資料にも、神父が聖像を踏まされたという記述があるなど、踏み絵のルーツについては、まだまだ謎が多いようです。
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