国境は、アフリカ大陸の北側のように、植民地時代に人為的にまっすぐ区切られてしまったところでなければ、海や川、山といった地形的な要素によって決まることがほとんどです。 このなかで、ちょっとめんどうが起きやすいのが河川です。 […]
海外・国内・歴史の雑学
中国の箸が寸胴型なのは?
日本の箸は、先に行くほど細くなっていますが、中国の箸は全体がほとんど同じ太さの「寸胴型」です。これは、食習慣の違いからきています。 海に囲まれている日本の食卓では、魚が中心でした。焼き魚や煮魚を食べるときは、小骨を取り除 […]
キューピー人形は男の子?女の子?
キューピー人形の股間には、男女を区別するモノがついていないから、外見では性別は判定できません。 キューピー人形は、1912年生まれ。アメリカの家庭雑誌にウィルソンという女流作家が、キューピー人形を挿絵につかったポエムのコ […]
禁酒国ではどんな「接待」を受ける?
イスラム教国の中でもサウジアラビアは飲酒にたいしてとくに厳しいことで知られています。たとえ酒屋があっても、非イスラム教徒や非イスラムの外国人しか購入できませんし、お酒を飲んでいることが発覚すれば、公開ムチ打ちの刑に処せら […]
一寸法師は鬼を退治したあと、どうなった?
室町時代の『御伽草子』によると、「一寸法師」の物語は、次のようになります。 一寸法師は、お椀の舟に箸の櫂(かい)をこいで、京の都へのぼります。そこで、三条宰相に召しかかえられ、三条宰相の娘にひと目惚れし、一芝居打ちました […]
なぜ八男の源義経は「九郎」と呼ばれるのか?
源義経の名は、一般に源九郎義経として知られています。ところが、本当は義経は八男。八男のくせに、「九郎」と呼ばれるのはなぜでしょうか。 『義経記』によると、義経は16歳のとき、金売吉次とともに、奥州の藤原秀衡(ひでひら)を […]
大岡越前があつかった裁判の数は?
大岡裁きで有名な、名奉行大岡越前守忠相(ただすけ)は、生涯にどのくらいの数の裁判を取りあつかったのでしょうか? まず、忠相が1日に裁いた裁判の数からチェックしてみましょう。忠相などの奉行が、法廷にあたるお白州に出るのは、 […]
ペリーとの交渉には何語を使ったのか?
1853年、アメリカのペリー提督が黒船をひきいて日本にやってきました。このときの交渉役として幕府から派遣されたのが、浦賀奉行与力の中島三郎助。彼は通詞(通訳)の堀達之助を連れて、ペリーが乗船するサスケハナ号に向かいました […]
キリシタン宣教師は何人くらいいたのか?
キリスト教の宣教師がはじめて日本に来たのは、天文18(1549)年のことでした。イエズス会のフランシスコ・ザビエルが2名の同僚とともに来日したのです。 以来、ほぼ毎年のように宣教師は来日しています。たとえば、天正11(1 […]
最初の遣隋使のとき誰が通訳したのか?
奈良時代の遣隋使は、いわば中国に向けた外交使節団。日中間で対等の外交関係を樹立することが派遣の目的でした。では、はじめて異国を訪問したとき、言葉の問題はどうクリアしたのでしょうか? それは、遣隋使船の乗船リストをみると、 […]