東海道の旅を終えたあと、弥次さん喜多さんは、どうした?

江戸時代に十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が書いた滑稽本『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』の主人公は、ご存じ弥次さん、喜多さん。
弥次さん喜多さんは、江戸の神田を出発し、箱根の山を越えて、京都の三条大橋に至る東海道五十三次を歩いた――と、ここまでの話はよく知られています。
では、京都へ到着した後、二人はどこへ向かったのでしょうか?
じつはその足で江戸へ戻ったのではなく、彼らの旅はさらに続いていたのです。まず、京都から大坂に足をのばし、難波見物。そのさいに泊まった難波の宿で知り合った男に誘われるまま、一緒に四国に渡って金比羅(こんぴら)詣でをします。そこから、瀬戸内海を渡って広島の安芸(あき)の宮島を見物。
ようやく、東に向かい、帰り道は中山道(なかせんどう)を経由し、信濃の善光寺にお参りした後、上州の草津温泉に立ち寄って旅の疲れを癒してから、江戸に戻ってきました。
というわけで、京都に到着してから先のほうが、彼らの旅は長かったのです。

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