幕末維新の英雄西郷隆盛は、井伊直弼が幕府の大老になったときから追われる身になりました。 しかも薩摩藩主の島津斉彬が急死して、ますます頼るところがなくなった彼が、鹿児島の錦江湾で投身自殺をはかったことは有名な話です。 もち […]
日本史の雑学
江戸を戦火から救った勝海舟の捨て身の戦術とは
徳川300年の歴史ももう終わろうという、慶応4年3月14日、勝海舟と西郷隆盛の会談が江戸の薩摩屋敷でおこなわれました。 このとき官軍は、3万人もの兵が三方から江戸を囲んでいました。これに対して幕府の中心勢力はいまの東京湾 […]
坂本竜馬が死んで、妻のお竜の立場はどうなった?
彼女に初めて会ったとき、その名を聞いて「わしと同じ名か」と坂本竜馬はいったといいます。この女性が、京都の旅館、寺田屋の養女、お竜さんです。 日本で最初に新婚旅行をしたのは、このふたりだといわれますが、親族もよばずに、ふた […]
壇ノ浦の合戦で戦局を一変した義経の奇策
1185年、源氏と平家の天下わけ目の合戦が、いままさにくり広げられようとしていました。本土、九州の各地を追われた平家は、関門海峡の彦島を根拠地に源氏を迎え撃つことになりました。海上の戦いのほうが平家にとって一歩も二歩も有 […]
「負けるが勝ち」これぞ信長のピンチ脱出法
名将というのは強運の持ち主であるもの。織田信長もそのひとりです。 織田の命運をかけた「姉川の戦い」はまさに信長の強運そのもので手に入れた勝利だったといえます。 当時、信長の傀儡(かいらい)という立場を嫌った室町末期の将軍 […]
敵の意表をついて危機挽回した知恵者って?
信長の死後、後継擁立問題で、豊臣秀吉と柴田勝家は対立していました。 1583年3月、勝家は佐久間盛政を先鋒として近江(現・滋賀県)の柳ヶ瀬に陣を張り、一方秀吉も伊勢から近江へはいり、木之本に布陣、にらみあいの態勢となりま […]
いつの世でも最後に物言うのはコレの力
徳川家康が、本能寺での信長の横死(おうし)を知ったのは堺の宿に宿泊しているときでした。事件の実否を確認するのが先決と思った彼は、まず、京都を目ざしました。 途中、河内の飯盛で家康が懇意にしている京都の商人・茶屋四郎次郎に […]
夫のピンチを救った妻の逆転発想とは
京都最古の建造物として国宝に指定されている七本松の大報恩寺の本堂。千本釈迦堂の名でしられるこの寺は、安貞(あんてい)元年(1227)に義空上人によって開かれました。 この本堂を建てるときに、大工の棟梁として活躍したのが長 […]
前代未聞、主君の恩を仇で返した家臣の延命術とは
「命を捨ててでも主君に忠義を尽くすことが武士道」、家臣がつねにそう心していたかというと、そんなことはなかったようです。 天正7年(1579)、それまで織田信長に帰属していた波多野秀治・秀尚兄弟が反旗をひるがえしたことで、 […]
公暁に持ち去られた源実朝の首はみつかったのか
日本史において、幕府は3つあります。鎌倉幕府、足利幕府、徳川幕府です。このうち、鎌倉だけが地名で、源氏幕府とか源幕府とよばれないのは、源頼朝が開いたものの、源氏政権は3代で終わってしまい、後は北条氏による執権政治がつづい […]