戦争には文字通り落とし穴がつきもの

越後の長尾景虎、のちの上杉謙信の父・長尾為景は、その父能景を神保慶宗に殺された恨みを抱いていました。
一方越中国(現・富山県)の守護代をつとめていた神保氏は、越中の一向一摸勢力と結び、しだいに勢力を伸ばしてきていました。この両者がついに一戦を交えるときがきました。天文5年12月のことです。
為景率いる越後軍は越中に攻め入り、破竹の勢いで一向一揆の軍勢を栴檀野(せんだんの)に追いつめて総攻撃をかけました。とどめの一撃をくわえて、敵軍を全滅させるはずでした.
ところが、ここには、まさしく正真正銘の落とし穴があり、それとは知らずに一向一揆勢の計略にまんまと引っかかってしまったのです。
越後軍はつぎつぎと無数の落とし穴に落ち、為景もその穴に落ちて、はいあがったところを討たれたといいます。
戦いはお互いに奇策を弄してワナにはめようとするものですが、まさか地面に掘ったワナにはまるとは、為景も予測していなかったでしょう。
もっとも、この戦いは天文5年説のほかに、天文14年説、15年説もあり、為景の死因も春日山城で病死というものもあります。これで多少は為景の面目も立つというものです。

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