まさかそんなに早く死ぬとは夢にも思っていなかったので、織田信長は自分の死後、織田家をどうするかについては、なにも指示を残しておきませんでした。 信長には11人の息子がいましたが、そのうちの長男と五男が本能寺で父信長ととも […]
海外・国内・歴史の雑学
将軍になれなかった子はそのまま将軍家にいてもいいのか?
世襲制には、ふたつの大きな問題があります。ひとつは、その当主になかなか子供ができない場合。この場合、弟があとを継いだり、養子をとったりするわけです。 もうひとつは、子供が多すぎる場合です。それも、正妻のほかに側室がたくさ […]
源義経と別れたあとの静御前の消息
以前どこかのメーカーの洗濯機の名前に使われていましたが、静御前(しずかごぜん)といえば、源義経の恋人です。 義経は平泉で死んだことになっていますが、その後、北海道に逃げただの、大陸に渡っただのと、歴史家は相手にしませんが […]
西郷隆盛の子孫たちの意外な生涯
西郷隆盛が西南戦争に敗れ、自刃したのは明治10年、1877年のことです。50歳でした。 当時の英雄たちは、あちこちにお妾さんがいたりして、子供はたくさんいたものですが、西郷の場合は、その生涯に3度結婚し、5人の子供がいま […]
天正遣欧使節はローマ法王に会うまでは有名な話だが……
海外赴任は一般に出世コースとみなされますが、場合によっては、そうでもない場合もあります。 あまり長く海外にいると、日本の習慣やら風俗と合わなくなってしまい、本社に戻ってきても、人間関係などがうまくいかなくなる場合があるか […]
クラーク博士は日本を去ってからどうしていたのか
「少年よ、大志を抱け」といえば、いまも札幌に銅像のあるクラーク博士の言葉。 アメリカの教育者で、明治政府に招かれて、明治9年に来日。できたばかりの札幌農学校の教頭となりますが、わずか1年でアメリカに戻ります。 しかし、そ […]
盗まれたゴヤの頭蓋骨はどこへいった?
「首のない死体」というのは、エラリー・クイーンの『エジプト十字架の謎』をはじめ、推理小説によくでてくるトリックのひとつです。 たいてい、被害者と思われていた人が、じつは生きていて犯人だった、というオチとなります。たしかに […]
吉良上野介の後継ぎはちゃんといたのか
忠臣蔵の敵役、吉良上野介。その後、吉良家はどうなったでしょうか。 吉良上野介こと義央(よしなか)には、綱憲という息子がいましたが、これは主筋にあたる上杉家の養子となりました。 そうなると吉良家には後継ぎがいなくなるので、 […]
フランシスコ・ザビエルは日本での布教を終え、それからどこへ行った?
日本のおとなり韓国は、キリスト教徒が多い国でもあります。それにくらべれば、同じころに伝来したはずなのに、日本には信者があまりいません。 もちろん、教会はあちこちにあるし、クリスマスは国民的行事だし、教会で結婚式をあげるカ […]
ベニスはいずれ水没し、本当に消えてなくなるのか
イタリアの楽観主義者には、ベニスが水没するより、東京の大地震のほうが先だろうという声もあります。しかし、ベニスは、現実に過去1200年のあいだに、なんと1.4メートルが水没。さらに、いまから1000年後には、3メートルは […]