海外赴任は一般に出世コースとみなされますが、場合によっては、そうでもない場合もあります。
あまり長く海外にいると、日本の習慣やら風俗と合わなくなってしまい、本社に戻ってきても、人間関係などがうまくいかなくなる場合があるからです。一か月くらいの海外出張でも、帰ってきたら大きな人事異動がありとまどった、なんてことは、よくある話です。
しかし、それでも戦国時代末期の天正遣欧使節団にくらべれば、まだマシでしょう。彼らの場合、ヨーロッパに「長期出張」して、帰ってみたら、会社が倒産していた、というような運命にあったのです。
彼らは、キリシタン大名の大友義鎮(よししげ)、大村純忠、有馬晴信たちによって派遣されました。その目的は、ローマ法王に謁見すること。1582年1月に出発し、85年にようやく目的を達しました。この悲運の使節団のメンバーは4人。
こうして意気揚々と帰国したのですが、1590年。豊臣秀吉が権力を握ると、彼はキリシタン弾圧に乗りだし、大友、大村の両大名もすでにこの世の人ではありませんでした。
せっかく日本にキリスト教を広めようとして帰ってきたのに、それが不可能となってしまったのです。
しかし、4人のうちキリスト教を棄てたのは、ひとりだけ。あとの3人は死ぬまで信仰を守り通しました。
そのひとり、中浦ジュリアンは、1633年に処刑されます。殉教です。その刑場に連れていかれるときも、「われこそはローマに赴いた中浦ジュリアン」と叫んだといいます。
天正遣欧使節はローマ法王に会うまでは有名な話だが……
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