縄文遺跡からは、動物の骨を削ってつくった釣り針が、よく出土します。 しかし、今まで、釣り糸がついた状態で発見された釣り針はひとつもありません。ということは、釣り糸は何か朽ち果てるモノでできていたようですが、それは何だった […]
海外・国内・歴史の雑学
「踏み絵」を考えだした人は?
最初に踏み絵を実施したのは、長崎奉行・水野河内守(かわちのかみ)のようです。寛永5(1628)年のことで、このときの踏み絵は、紙製の聖画類でした。 つづいて、翌寛永6年には、同じく長崎奉行・竹中采女正(うねめのかみ)が木 […]
代官には本当に悪代官が多かったのか?
時代劇に出てくる江戸時代の代官といえば、かならず賄賂はとる、庶民は泣かせる悪代官です。本当のところは、どうだったのでしょうか? 代官は、幕府の直轄領(天領)を治めていた行政官。その仕事は、年貢の取り立て、治安維持、治水工 […]
なぜ昔の大家は店子(たなこ)にうるさくいった?
落語の世界では、大家が店子に向かって口うるさくいっていますね。事実、江戸時代は、大家と長屋に住む店子の関係は、きわめて密接だったのです。 なにしろ、店子は大家を通さないと何もできませんでした。 嫁をもらうにも大家の許諾が […]
忍者は本当に竹筒だけで水にもぐれたのか?
ドラマに出てくる忍者は、竹筒を口にくわえて水中に沈み、水面に竹筒の先だけ出して空気を吸い込んで呼吸しながら、水中にひそんでいました。おなじみのシーンですが、これは現実には不可能な技のようです。 第一に、人間の体は水に浮い […]
戦国時代の武士はケガをどう応急処置したのか?
戦国時代の戦いでは、もちろん多くのケガ人が出ました。当時の戦場に、医者、今でいう軍医は同行していません。ケガをした侍は、薬草を使って自分で応急処置するのが普通でした。 よく使われたのは「紫根草(しこんそう)」という植物の […]
侍の財布の中にはどれくらい入っていたか?
侍、侍といばっていても、経済的にはなかなか大変だったようです。下級武士、浪人、足軽、中間らはいうにおよばず、上級武士の生活もけっして楽なものではありませんでした。たとえば、200石取りの侍を例にとってみましょう。これを貨 […]
大名は国替えのとき、どうやって引っ越した?
江戸時代の大名の国替えというと、何百人何千人もの社員とその家族全員が、同時に転勤し、引っ越すようなものです。手続きや手順がうまくいかず、大騒ぎになる大名家も少なくありませんでした。 国替えになると、まず城内の諸道具や帳簿 […]
左利きの武士は刀を反対側に差したのか?
昔の侍は、刀を左の腰にさしていました。いざというとき、右手で刀を抜くためです。 というと、左利きの武士は刀を右の腰にさしていたと思えますが、現実にはそうする武士はいませんでした。 もともと、刀を振るのは、物を投げるのとは […]
なぜ武士は月代(さかやき)を剃っていた?
時代劇に登場する武士はみな、おでこの上の部分を剃っています。時代劇通ならご存じのとおり、月代と呼ばれる部分ですが、なぜ武士は月代を剃っていたのでしょうか? これは、合戦があったころの名残りです。 日本では、室町時代後半か […]