寿司屋では、キュウリの海苔巻きのことを「カッパ巻き」といいます。 キュウリが「カッパ」と呼ばれるのは、「河童の好物はキュウリ」という迷信に由来しているのです。 今でも、神社の夏祭りには、キュウリをお供えするところが多いで […]
なぜご飯を「シャリ」というのか?
寿司屋では、ご飯のことを「シャリ」と呼びます。語源は仏教用語で、お釈迦様の骨のことを「舎利」、または「仏舎利」と呼ぶことに由来します。 仏教では、「舎利」(骨)は土にかえると、めぐりめぐってイネ、ムギ、アワ、キビなどの穀 […]
なぜ握り寿司は1カン、2カンと数えるのか?
寿司は、本当は一個、二個ではなく、一カン、二カンと数えます。 だが、なぜ「カン」という単位で数えるようになったかは、よくわかりません。一説には、お金の単位が貫(カン)だった頃、寿司一個の値段が一貫だったことの名残りだとか […]
一寸法師は鬼を退治したあと、どうなった?
室町時代の『御伽草子』によると、「一寸法師」の物語は、次のようになります。 一寸法師は、お椀の舟に箸の櫂(かい)をこいで、京の都へのぼります。そこで、三条宰相に召しかかえられ、三条宰相の娘にひと目惚れし、一芝居打ちました […]
なぜ八男の源義経は「九郎」と呼ばれるのか?
源義経の名は、一般に源九郎義経として知られています。ところが、本当は義経は八男。八男のくせに、「九郎」と呼ばれるのはなぜでしょうか。 『義経記』によると、義経は16歳のとき、金売吉次とともに、奥州の藤原秀衡(ひでひら)を […]
なぜ百人一首の小野小町は後ろを向いているのか?
かるたの百人一首の中で、小野小町の顔だけは、まったく描かれていません。後ろ向きで顔がみえないのです。 絶世の美女の顔をわざわざ隠したのは、江戸中期以降のことです。 小倉百人一首が、現在のように歌かるたとして遊びに使われる […]
東海道の旅を終えたあと、弥次さん喜多さんは、どうした?
江戸時代に十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が書いた滑稽本『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』の主人公は、ご存じ弥次さん、喜多さん。 弥次さん喜多さんは、江戸の神田を出発し、箱根の山を越えて、京都の三条大橋に至る東海道五十三次 […]
大岡越前があつかった裁判の数は?
大岡裁きで有名な、名奉行大岡越前守忠相(ただすけ)は、生涯にどのくらいの数の裁判を取りあつかったのでしょうか? まず、忠相が1日に裁いた裁判の数からチェックしてみましょう。忠相などの奉行が、法廷にあたるお白州に出るのは、 […]
ペリーとの交渉には何語を使ったのか?
1853年、アメリカのペリー提督が黒船をひきいて日本にやってきました。このときの交渉役として幕府から派遣されたのが、浦賀奉行与力の中島三郎助。彼は通詞(通訳)の堀達之助を連れて、ペリーが乗船するサスケハナ号に向かいました […]
「源氏物語」は、平安時代何人くらいの人が読んでいた?
紫式部は「源氏物語」を書きはじめたとき夫と死別し、一児の母となっていました。 やがて、紫式部は、藤原道長のお声がかりで、道長の娘の彰子に仕えることになります。この宮廷に勤めている時代に、彼女は「源氏物語」を完成させます。 […]