徳川家康が、反秀吉勢力の大結集をはかり、秀吉を打倒すべく引き起こした小牧の戦い。 このとき、四国の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)、紀州の根来(ねごろ)・雑賀(さいが)の僧兵らが、秀吉に反抗する動きをみせ、家康に荷担 […]
日本国内の雑学
精神力にものいわせ、出るか逆転ウルトラC
日本の男子体操は、オリンピックの団体競技で、ローマ、東京、メキシコ、ミュンヘンと4連覇を達成、昭和51年(1976)のモントリオールでも団体優勝は確実とみられていました。 ところが、エースの笠松茂が急性盲腸炎になり現地で […]
スリを捕らえた勇敢男、その意外な結末とは
昭和57年9月14日、東京都足立区内のパチンコ店でちょっとした事件が起こりました。客として遊びにきていた林宗雄さん(仮名・36歳)が、スリにサイフをスラれてしまったのです。 しかし、勇敢にも林さんは自分の力でスリを捕まえ […]
勝敗がコロコロ変わった世紀のバレーボール戦
1992年のバルセロナ五輪、2日目。男子バレーボール予選リーグで、日本チームはいきなり優勝候補のアメリカチームと対戦しました。 どちらも初戦、ここで勝って波に乗りたいとあって、追いつ追われつの大接戦。結局、フルセットの末 […]
悲願達成なるか、決勝トライの行方は……
1991年1月8日、秩父宮ラグビー場、メインスタンド最前列で三洋電機の宮地監督はノーサイドのコールを待っていました。 後半40分、スコアは16対12、5分後には打倒神戸製鋼の悲願達成か……。チームができて30年、5度目の […]
伝説のヒーローを生んだ1レースがもたらしたこんな悲劇
1965年、千葉県船橋市の船橋へルスセンター敷地内に船橋サーキットが開設されました。このサーキットは67年には閉鎖されてしまいましたが、2年間という短いあいだに浮谷東次郎というヒーローを生みました。 以下、ヒーローの誕生 […]
戦に情は禁物、明軍が敗れたこんな理由
文禄2年(1593)正月5日、明・朝連合軍は、小西行長らが守る平壌を包囲しました。7日にはついに総攻睾に移ります。世にいう文禄(ぶんろく)の役の開戦です。 多勢に無勢の日本軍は、たちまち京城をめざして敗走します。京城に着 […]
NTT社長の座に待っていた思いがけないドンデン返しとは
電電公社が民営化してNTT(日本電信電話会社)となったのは昭和60年4月1日でした。初代社長の座についたのは電電公社の総裁だった真藤恒(しんとうひさし)ですが、そのイスをめぐって、民営化前から激しい争いがくり広げられてい […]
もはやこれまで!の料理方が命拾いしたいきさつ
江戸時代、将軍の食事は、あらかじめお毒味したのちに将軍のまえにさしだされました。それほど将軍の食事には気をつかっていたわけで、その分料理方の責任も重かったのです。 徳川家8代将軍吉宗が、あるとき、食事をしようとすると、料 […]
あるカメラ会社の命運をかけた副社長の英断とは
1981年のある日、ミノルタの社内にある会議場では、激しい議論が戦わされていました。 この日、開発部門が新商品として販売側にみせたのは、なにやらカメラのボディらしきものからコードがのび、大型のトランクにつながっているとい […]